sozaiya natsuchiyo blog since2006/05/26
取扱説明書ってありますでしょ。
家電やゲームやPCソフトなんかにもついてるあの説明書のことなんですが。
あれが好きです。
ずっと前からそんな気はしていましたが、最近再確認したのでおもいきって告白します
取説好きです。
…とは言っても全ての取扱説明書のことが好きなわけではありません。
要点を押さえててわかりやすくて見やすい説明書が大好きです。
必ずまずはじめに取説を読むタイプの人間なのですが、
わかりやすい説明書だとその製品を実際に触るまでの時間がわくわくしますよね。
まるで遠足の準備の時のようなわくわく感が。
だらだらとなんかいろいろ書いてるのに結局よくわからんかった…というたぐいの説明書もよく見ますがそういうのは嫌いです。
どっちかっていうとそういうのに行きあたる方が多いですが、
良い取説に当たった時はなんとなく嬉しい気持ちになりますよね。
家電やゲームやPCソフトなんかにもついてるあの説明書のことなんですが。
あれが好きです。
ずっと前からそんな気はしていましたが、最近再確認したのでおもいきって告白します
取説好きです。
…とは言っても全ての取扱説明書のことが好きなわけではありません。
要点を押さえててわかりやすくて見やすい説明書が大好きです。
必ずまずはじめに取説を読むタイプの人間なのですが、
わかりやすい説明書だとその製品を実際に触るまでの時間がわくわくしますよね。
まるで遠足の準備の時のようなわくわく感が。
だらだらとなんかいろいろ書いてるのに結局よくわからんかった…というたぐいの説明書もよく見ますがそういうのは嫌いです。
どっちかっていうとそういうのに行きあたる方が多いですが、
良い取説に当たった時はなんとなく嬉しい気持ちになりますよね。
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犬の世話でいちばん大変だなーっておもうのは
毎日毎日散歩に行かなければいけないことでもなければ、
夜中にしょっちゅう起こされることでも、
たとえすごく疲れている時でも「あそんでくれ!」と言われれば、
いっしょに遊んでもらわなければいけないことでもありません。
やっぱりそういうのは全然苦にならないんですが、
何がいちばんしんどいかといえば、
命を預かっているという責任の重さみたいなことだと思うんです。
自分のほんのちょっとしたミスや油断が病気やけがや死に直結してしまいそうな怖さが常にあります。
マアトがうちにきて最初のころはとくに四六時中気をはりっぱなしで大変でした。
幸い今までのところ大きいけがや病気はないけど、
犬はしゃべってくれないので、
逆に何か異変があった時に見抜けるのかどうかが不安です。
「しんどい!」とだけでもしゃべってくれたらなー。
毎日毎日散歩に行かなければいけないことでもなければ、
夜中にしょっちゅう起こされることでも、
たとえすごく疲れている時でも「あそんでくれ!」と言われれば、
いっしょに遊んでもらわなければいけないことでもありません。
やっぱりそういうのは全然苦にならないんですが、
何がいちばんしんどいかといえば、
命を預かっているという責任の重さみたいなことだと思うんです。
自分のほんのちょっとしたミスや油断が病気やけがや死に直結してしまいそうな怖さが常にあります。
マアトがうちにきて最初のころはとくに四六時中気をはりっぱなしで大変でした。
幸い今までのところ大きいけがや病気はないけど、
犬はしゃべってくれないので、
逆に何か異変があった時に見抜けるのかどうかが不安です。
「しんどい!」とだけでもしゃべってくれたらなー。
「マイマイ新子と千年の魔法」って、結構人を選ぶような映画だと思うんですよね。
でもそれは「好きな人と嫌いな人がはっきり分かれる」というような、とんがったものではなくて、
「はまる人ははまる。でもそれ以外の人は案外普通」っていう感じだと思います。
我が家では、マイマイを観た自分と母、そして妹の三人のなかで、
大人二人と妹との間での温度差がすさまじいです。
マイマイ新子を観ると、とにかく「なつかしい」という感情がこみあげてきます。
マイマイ新子の舞台は昭和30年なのですが、その年代には自分はおろか、母さえまだ生まれていません。
しかし、そこに感じる懐かしさは昭和に対するノスタルジーのようなものではありません。
昭和が懐かしいのではなく、自分自身の子供のころがどうしようもなく懐かしく思えるのです。
自分自身の子供のころの考え方や感じ方、世界の見え方、大人から見たら一見全く筋の通ってないようであっても、子供からしたらしっかり芯の通っていた論理とか、
そういう、大人になったら自分でも忘れていることさえ忘れていたようなことを見せられているような感覚に陥るのです。
世間ではマイマイ新子は「おじさんが泣く映画」ともよく言われていますが、そういうことなんだろうなーと思います。
妹もおもしろいとは思っているみたいですが、
この映画の本当の良さみたいな部分にはあまりピンと来ていないようです。
まあ、それはもう本当にしょうがないところではあると思います。
つまりはもう自分もオッサンなんだということになるのですが、まあ、それもしょうがないです。
おじさんもおばさんも、「昔子供だった大人」には特別な見え方のできる映画だと思います。
でもそれは「好きな人と嫌いな人がはっきり分かれる」というような、とんがったものではなくて、
「はまる人ははまる。でもそれ以外の人は案外普通」っていう感じだと思います。
我が家では、マイマイを観た自分と母、そして妹の三人のなかで、
大人二人と妹との間での温度差がすさまじいです。
マイマイ新子を観ると、とにかく「なつかしい」という感情がこみあげてきます。
マイマイ新子の舞台は昭和30年なのですが、その年代には自分はおろか、母さえまだ生まれていません。
しかし、そこに感じる懐かしさは昭和に対するノスタルジーのようなものではありません。
昭和が懐かしいのではなく、自分自身の子供のころがどうしようもなく懐かしく思えるのです。
自分自身の子供のころの考え方や感じ方、世界の見え方、大人から見たら一見全く筋の通ってないようであっても、子供からしたらしっかり芯の通っていた論理とか、
そういう、大人になったら自分でも忘れていることさえ忘れていたようなことを見せられているような感覚に陥るのです。
世間ではマイマイ新子は「おじさんが泣く映画」ともよく言われていますが、そういうことなんだろうなーと思います。
妹もおもしろいとは思っているみたいですが、
この映画の本当の良さみたいな部分にはあまりピンと来ていないようです。
まあ、それはもう本当にしょうがないところではあると思います。
つまりはもう自分もオッサンなんだということになるのですが、まあ、それもしょうがないです。
おじさんもおばさんも、「昔子供だった大人」には特別な見え方のできる映画だと思います。